女と男の接点(上)
どんぐり太郎です。
恐妻家、いえ、愛妻家を自称しております。
しかし肝心のくるみママからは認められていません。
常日頃からコミュニケーション不足を叱責されています。
何しろ平日は仕事で家を空けることも多く、日常の会話が疎かになることもしばしば。
出張先からの連絡が滞ると、
「あら、私は必要ないのかしら?」
みたいなメールが来てドキリとすることも。
「んなわけないじゃん。愛してますってば」
と打つのですが、その後が出てきません。
最近ふと思うんですけどね。
女性と男性とでは、愛する相手に求めるものが根本的に違うのではないかと。
男性にとって、愛する女性は空気のようなもの。
1秒たりとも絶対に欠かせないものではあるんですが、その有難さをいちいち確かめたり愛でたりはしてないんですね。
もちろん、なくなりそうになったら苦しくなるわけで、それこそ命がけで取り戻そうとするんですが、その時にならないと有難さがわからないわけです。
かたや女性にとって、愛する男性は水のようなものなのかもしれません。
これも絶対に欠かせないものですが、空気とは違っていつも当たり前にスルーしちゃうのではなく、必要になるとそのつどちゃんと意識するんですね。
喉が渇くたびに、水を汲んで飲むという動作があるでしょ?
渇いているときほど美味しい。
時に言葉に出して愛でたりもします。
水ってやつは「必要性を確かめる」時間が確実にあるわけですね。
女性は男性に、自分が水を欲するように愛してもらいたい。いかに自分のことを必要としているかちゃんと意識して、言葉にもしてほしい。
かたや男性は、女性には空気のような当たり前の存在としていつもそっと(黙って)包んでいてほしい。
まあ、勝手なもんです。お互いに。そりゃ噛み合わないはずですわ。
でも、そんなギャップを埋める意味で、軽井沢で過ごす週末は我々にとってとても大切な時間になっています。
こっぱずかしいですが、やっぱり語らう時間と空間が大事だなと痛感する今日この頃であります。
※くるみママ追記
やっぱり話し合うのは大事。同じ目標となる木を植えて、後は空気と水で育てればいいのです。
というか、出張の時はやっぱり寂しいのでした!
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