ど素人の軽井沢ライフ奮戦記

一念発起、軽井沢で週末を過ごすことに決めた中年夫婦のドタバタ別荘奮戦記。

「コスモス街道」の歌碑

狩人というよりは防人みたいなどんぐり太郎です。
 
「狩人」という兄弟デュオがいました。いました、というのは失礼な話で、今も現役で活動されていることと思います。
 
1977年発売の『あずさ2号』が大ヒットしていきなりスターダムにのし上がり、アイドル全盛の渋谷公会堂で「かりゅーどー!」などと黄色い声を浴びていました。どんぐり太郎も子供の頃にブラウン管ごしにそれを眺めていて、せめて個人名で呼んでやれよ、と人知れず同情したものです。あれだけヒットしたわりに個人名があまり認知されていなかったのが気の毒なところです。ちなみに、加藤久仁彦さんと高道さんです。
 
そのデビュー第二弾が『コスモス街道』。
 
最初の曲のインパクトが強すぎると次の曲でファンを落胆させ、哀しくも一発屋で終わるのがこの手のタレントのありようですが、明らかに信濃路つながりの二番煎じ狙いだった『コスモス街道』は、80万枚を売り上げた彼らの代名詞とも呼ぶべき『あずさ2号』に次ぐ、60万枚を売り上げる大ヒット曲となりました。世間はやっぱり長野県が好きなようです。
 
 
 
『コスモス街道』
作詞 竜真知子
作曲 戸倉俊一
バスを降りれば からまつ林
日除けのおりた 白いレストラン
秋の避暑地で 出会うひとはみな
なぜか 目を 目を伏せて
なぜか 目を 伏せ歩きます

コスモスの花は 今でも咲いていますか
あの日の二人をまだあなたは覚えてますか
愛されなくても 最後まで
のぞみを捨てずに いたかった

右は越後へ行く 北の道
左は木曽まで行く 中仙道
続いてる コスモスの道が

あなたに賭けた ひとつの季節
優しい日々は 帰らないけれど
愛の想い出 そっととり出して
この胸に 暖めて
暖めなおす 私です

コスモスの花は 今でも咲いていますか
心の支えを 今ひとりでたずねてきたの
愛されなくても 最後まで
のぞみを捨てずに いたかった

右は越後へ行く 北の道
左は木曽まで行く 中仙道
続いてる コスモスの道が

なんか、実に軽井沢ちっくなアイテムが散りばめられた歌詞ではありませんか。
 
実際、追分に歌碑があります。ケンズの散歩の最中に偶然見つけました。18号(北国街道)と中山道の旧道が分岐している交差点の近くです。
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歌詞の中の「右は越後へ行く北の道 左は木曽まで行く中仙道」という部分だけ書いてあります。まさにそんな場所。
 
この歌詞から類推して、一時はこの曲が信濃追分の歌かと色めきだったのですが、どうやら実情は違うようです。
 
結論から言うと、歌のモチーフは佐久市内山地区に実在する全長9kmにわたる「コスモス街道」で、「避暑地」のイメージとして「からまつ林」「日よけのおりた白いレストラン」など軽井沢のアイテムが使われたものと推測されます。
 
ちなみにこの「白いレストラン」は18号沿いの「シャレー」ではないかと。どんぐり太郎が知る限り少なくとも1989年の秋には存在していたレストランですが、1977年時点ではもうあったのでしょうか。こんどお店で訊ねてみたいと思います。
 
ただ、歌碑のある分岐点とシャレーはとてもじゃないですが鼻歌をワンコーラス唄う間に歩いていけるような距離ではありません。軽く30分以上かかります。
 
※くるみママ追記
ケンズのお散歩で色々発見できるのはいいことです。ケンズいわく「あっしらは狩人だから」(うーん)
 

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