おいでましたぜ山口へ(3)〜松下村塾
少年老い易くガクっとなりやすし。
どんぐり太郎です。
瀬戸内の宇部市から日本海側の萩まで山口県を縦断してレンタカーを走らせますこと1時間半。
着いた頃は小雨模様でありまして。天気予報はくもり、雨雲レーダーにも雲の影は写っていないにもかかわらず、であります。
ともかくもたどり着きましたのがこちら、松陰神社。東京都世田谷区若林にありますのは吉田松陰の墓所でありまするが、こちらは愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀った神社であります。
なんといっても見たかったのはこれでありますよ。
松下村塾。言わずと知れた、幕末に吉田松陰が主宰した私塾でありまして。
もとは松陰の叔父である玉木文之進が開いた私塾で、後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承、安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継いで主宰することになったであります。
当初からあった八畳の一室と、後に松陰が増築した四半一室、三畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成りまする。講義室だった八畳の広間には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてありまして。
身分や階級にとらわれず塾生として受け入れた松蔭。わずか1年余りでありましたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治新政府で活躍した多くの逸材を育てたのがこちらであります。
米国への密航に失敗したあと松蔭が蟄居しておりました部屋がこちら。
これを間近で見られただけでも今回の旅の意義はあったでありますよ。
※くるみママ追記
渡航に成功していたら松蔭の生涯もその後の日本もかなり違ってたんでしょうね!
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