ど素人の軽井沢ライフ奮戦記

一念発起、軽井沢で週末を過ごすことに決めた中年夫婦のドタバタ別荘奮戦記と、時おり旅の記録。

大規模災害に際していろいろ思うこと

本気で書き始めると一瞬で1千文字を超えるどんぐり太郎です。

 

まだまだ台風被害の全容がつかめない長野県でありますが、ここまでにいろいろと思うことがあったのでまとめて書いておくであります。

コンクリートの張り巡らされた東京と比べると、やはり長野県は自然が身近であります。剥き出しの土であったり、そこに生い茂る植物であったり、その間を縫って流れる川であったり。そこにいると、人間もこうした自然の一部なのだと感じること頻りであります。

それゆえ自然への畏敬の念も自ずと湧いてくるのでありまして。まして軽井沢であればすぐそばに生きた火山がでんと構えておりまして、時おりその威力の片鱗を見せつけることで、人間やその作り出した文明が万能ではないと戒めてくれるであります。

 

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さて、幸い東京は未曾有の降雨量にもかかわらず世界一の治水によって一部を除きおおかた守られたであります。

景観を損ねるからといって堤防の工事が進まなかった多摩川の某所が堤防決壊&冠水したことが報じられていたでありますが、「自然の川を守れ」などという主張はちゃんちゃらおかしいであります。

そもそも江戸時代以前、江戸に限らず全国の平野を流れる河川は自由に暴れていたそうであります。下流では、河川は何条にも枝分かれして大きな扇状地を形作り、海岸一帯では海水の逆流と混じって巨大な湿地帯になっていたであります。

江戸の太平の世になって、そうした日本各地の扇状地に封じられた大名とそこに暮らす人々は次々と堤防を築いていったであります。毛細血管のようにごちゃごちゃと流れていた何条もの川を一本の堤防の中に押し込めていった結果、今あちこちにある大きな川が出来上がったであります。そして川と川との間に農地ができ、居住地ができた、と。つまり日本の都市の間を流れる川はほぼ「人工の川」なのでありまして。どの川も放っておけばもともとあった姿に戻ろうとするのであります。堤防が決壊し、洪水になるのであります。

 

そういえば、この台風と豪雨にあって、群馬県長野原町八ッ場ダムの活躍が一部で伝えられているでありますね。

同ダムはたまたま試験貯水中でほぼ空っぽだったこともあり、雨水をたっぷり貯めることで下流域を守ってくれたと。このダムに限らず、この台風の豪雨では実に多くのダムが活躍したでありますが、そこがきちんと報じられていないのは、これまでメディアが前述のようなダムの負の側面ばかりを伝えてきた手前、今さらダムをヒーローにはできないという事情が見え隠れするであります。

ダムについては賛否両論と申しますか、どちらかといえば、そこに住む人の生活が犠牲になるからあかん、自然を壊すからやめれ、政治家とゼネコンが儲けるだけだから許さへんど、という声が多いように感じるであります。ダムはムダ、コンクリートから人へ。心情としてはわからんでもないでありますが。

雨はたいてい山の斜面に多く降るであります。それが小さな川を伝って大きな川に流れ込み、下流へと流れていくでありますが、そこに何の調整も行われなければ、雨は降った分だけまるまる下流へ流れ込むわけでありまして、これだと集中豪雨があるたびに下流域は洪水に怯えることになるであります。そうした急な増水を防いでくれるのがダムという巨大な遊水地でありまして。もちろん万能ではなく、一杯になれば放流せざるを得ないでありますが、少なくともダムに水を貯めている間は時間稼ぎになるのでありまして、下流域の人々には逃げる余裕が与えられるであります。

 

まだまだ書きたいことは山ほどあるでありますが、ひっつめて申し上げれば無責任なメディアの報道によって誘導された歪んだ世論が社会を危機にさらしている、というお話であります。

今日はこのへんで収めておくであります。

 

※くるみママ追記

そんなこと言ってないで、軽井沢の家を片付けに行かなくちゃ!闇夜に耐えられるよう、あちこち散らかしっぱなし!

 

 

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