昭和の残滓と軽井沢
平成の次の元号予測をすでに50個ぐらいリストアップしたどんぐり太郎です。
平成も残り数ヶ月となりまして、昭和はますますとおくなりにけりであります。
昭和とは何だったかをどんぐり太郎的にひっつめて申し上げますれば、貧しさと豊かさがせめぎ合った後に豊かさが辛うじて勝った、そんな時代ということでありましょうか。
ふと、こんな喫茶店に紛れ込みますとそういう思いをひしひしと感じるであります。
何とも昭和なインテリア。
貧しさの中に築く見せかけの豊かさと申しますのは、得てしてこのように極端すぎるカタチを取るのでありまして。
世の中の多くの人々が食うや食わずの時代、プチ贅沢は一張羅を纏ってこんな店でコーヒーを飲むことだったのでありましょう。
いかにもな感じのきらびやかな豪華さは、世の中が広く一定の豊かさを享受してしまった時代にあっては揶揄の対象にすらおとしめられてしまう悲しい存在なのであります。
ふと、旧軽あたりの佇まいを思いますと、そういった昭和の欠片をまだまだ目にするのでありまして、ここいらに軽井沢が今ひとつ次の時代へ向けて脱皮できない根本原因が潜んでいるような気がいたしまする。
軽井沢ブランドというものがもし本当にあるのであれば、それを維持・発展させていくためのカギは、歴史の重みを尊びつつも、こうした悪しき意味での昭和の残滓を拭い去ることではないかと。
遠き昭和に思いを馳せつつ。
※くるみママ追記
先日たまたま飲食店て隣に居合わせた外国人が、日本はいつからか世界から遅れだし最近は昔風のイギリス風タクシーを導入したと話してました。あのタクシーは個人的には素敵なアイディアだと思っていますが、日本がテクノロジーが進んだ国というブランドイメージからは遠く見える人もいるのですね。軽井沢町も新たな外からの目で見直すのがいいのかも。
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