いざ松代大本営跡へ
欲しがりません勝つまでは。
どんぐり太郎です。
松代まで足を延ばしてきたであります。
江戸時代には真田の治める松代藩の城下町であり、恩田木工や佐久間象山を輩出した町でありまして、現在は長野市の一部であります。
追分からは浅間サンラインから小諸IC〜長野ICでざっと1時間という距離。けっこう至近なのでありますね。
このとおり、史跡の町らしい佇まいでありまして。
松代藩や真田家にまつわる史跡の宝庫であります。
しかしその中でも最もインパクトの大きなものはこちらでありまして。
松代大本営跡であります。
これは先の大戦の末期、昭和19年から終戦に至るまで工事の続けられた巨大地下壕でありまして、陛下をお守りしつつ最後まで本土決戦、一億玉砕を貫くための大本営をこちらに移そうとしていたのであります。
そのトンネルの距離は完成すると全長10キロにも及ぶものになったのだとか。
ちなみに玉砕の沖縄戦はこの地下壕が完成するまでの時間稼ぎだったとも言われているであります。なんとも痛ましや。
おもては30度を超える猛暑にもかかわらず、中は思いのほか涼しくてびっくりであります。
これならエアコン不要でありますね。
行ける限界まで行ったであります。ざっと数百メートルでありましょうか。
お隣には「歴史館」がありまして、こちらで地元の方がこの巨大塹壕のことについてあれこれと教えてくれるであります。
ところで、当時の軍部はなぜこんな辺鄙な地に大本営を移そうと考えたのでありましょうか。
理由は以下の通りだそうでありまして。
1.本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。
2.固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
3.山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
4.長野県は労働力が豊か。
5.長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
6.信州は神州に通じ、品格もある。
6番目の理由が興味深いであります。
結局この地下壕は使われることなく終戦を迎えたわけでありますが、当時は国体護持のためにこんな涙ぐましい努力をしていたのであります。
帝国臣民として、軍部の無能さへの憤りの念と、鬼畜米英に対する憎悪の念を新たにしたであります。
※くるみママ追記
戦争はやっぱりダメ!我が家の喧嘩、どんぐり太郎が折れれば、あら不思議、平和が保たれます。
※どんぐり太郎再追記
ポツダム宣言来たであります。
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